鬼滅の刃に登場する上弦の弐・童磨(どうま)は、冷酷非道な性格と不気味な笑顔で知られる強敵ですが、実はその過去には驚くべき秘密が隠されています。
彼が人間だった頃はどのような人物だったのか?そして、なぜ鬼へと堕ちる道を選んだのか?
この記事では、童磨の人間時代の名前や出自、鬼になった背景、彼の心の闇について詳しく解説していきます。
童磨というキャラクターの本質に迫る内容をぜひ最後までご覧ください。


童磨(どうま)の過去がやばい!人間時代の名前や鬼になった理由を解説
童磨(どうま)の人間時代の名前や鬼になった理由など、本項ではよくある質問にお答えしていきます。
以下の順で詳しく解説します。
- 童磨(どうま)の過去
- 童磨の人間時代の名前
- 鬼になった理由
- 童磨は死亡する?
童磨(どうま)の過去
童磨は「万世極楽教(まんぜいごくらくきょう)」という宗教団体の教祖の息子として生まれました。
虹色の瞳を持ち、「神の子」として信者から崇拝され、幼い頃から「人々の苦しみを救え」と言い聞かされ、説法をさせられる日々を送っていました。
しかし、童磨には生まれつき「感情」というものが存在しませんでした。
誰かが泣いていても「部屋がうるさいからやめてほしい」としか思えず、人の苦しみや悲しみにまったく共感できなかったのです。
そのため、信者の悩みを聞いても「頭では理解しているが心が動かない」状態で、常に空虚さを抱えていました。
ある日、母親が童磨の父親の不倫を知り、カッとなって父を刺殺し、自身も服毒自殺を図るという事件が起きます。
目の前でそれを見ていた童磨は、なおも無感動なまま「天井が汚れるからやめてほしかった」としか感じませんでした。
その後は童磨が教祖を継ぎ、信者たちを導く立場に立つのですが、20歳のころ、童磨は鬼舞辻無惨(きぶつじ むざん)と出会います。無惨から「鬼にならないか」と勧められ、童磨はほとんど迷わず承諾しました。
鬼になった後、童磨は「人を食べれば救われる」と本気で信じるようになりました。
悩み苦しむ信者たちを“救済”するために、自らの体に取り込んで“永遠に一緒にいられる”と考え、人を喰らい続けるようになります。
つまり童磨にとっての“救い”とは、「自分に食べられること」だったのです。
童磨はその後も教祖として信者を集めながら、隠れて人間を捕食し続けていきます。
鬼の中でも圧倒的な実力を持ち、「上弦の弐」に昇格。人間としての冷酷さと共感性のなさが、鬼としての残虐性と完全に一致した存在となっていきました。
童磨の人間時代の名前
人間時代の童磨の本名は明かされていません。
「童磨」は鬼になってからの名前であり、人間時代の個人名については原作・公式資料ともに記載がなく、彼の素性には謎が残っています。
ただし、幼いころから「万世極楽教(まんぜいごくらくきょう)」という新興宗教の教祖の息子として、崇められるように育てられていたことが分かっています。
鬼になった理由
童磨が鬼になったのは、鬼舞辻無惨(きぶつじ・むざん)にスカウトされたことがきっかけです。
童磨は20歳頃にはすでに教団の教祖となり、「信者の悩みを聞くふりをして食べる」という行為をしていたことが描かれています。
もともと彼は感情というものが欠落しており、人間の苦しみや悲しみに共感できず、「助けてあげないと」と頭で考えて動いていたに過ぎません。
この共感性の欠如が、鬼の本質と非常に相性がよく、無惨からも「強い」と見込まれ、鬼化を提案されたと考えられます。
鬼になることで老いも死も克服し、「もっと多くの人を救える(=食べられる)」と考えた童磨は、自らの意志で鬼になることを受け入れたようです。
童磨は死亡する?
結論、童磨は死亡します。
詳しくは、こちらの「上弦の弐」童磨の死亡シーン・死亡理由まとめ!最後は毒を喰らって地獄落ちにまとめました。
気になる方は、どうぞご覧ください。
まとめ
童磨は、生まれながらにして「神の子」と称されるも感情を持たず、他人の苦しみに共感できない異質な存在でした。
両親の死や教祖としての偽りの人生を経て、上弦の弐にまで上り詰めた彼の背景には、人間離れした精神性と空虚な内面が影を落としています。
鬼になった理由も、「弱き者を救う」という矛盾した信念によるもので、自身の歪んだ価値観を貫いた結果といえます。
童磨の過去を知ることで、彼の残酷さの裏にある「何も感じられない哀しみ」が浮かび上がり、単なる悪役ではない複雑な人物像が見えてくるのです。





