鬼滅の刃に登場する上弦の参・猗窩座(あかざ)は、残虐非道な鬼として描かれながらも、女性に対してだけは一線を越えないという異質な行動原理を持っています。
その理由は、彼の過去に深く根差しており、人間時代の「狛治」としての記憶と、愛する人との関係が強く影響しています。
本記事では、猗窩座が女性を殺さない理由を丁寧に掘り下げていきます。
猗窩座(狛治)が「女性を殺さない理由」まとめ
恋雪(こゆき)への深い愛情と喪失
猗窩座の人間時代、本名「狛治」は、病弱な少女・恋雪と出会い、彼女と心を通わせることで人生を取り戻しかけていました。
恋雪は、狛治にとって初めて「信頼され、必要とされる喜び」を教えてくれた存在です。
貧困や偏見の中で生きてきた狛治にとって、恋雪の優しさは救いそのものであり、彼女と過ごす日々はまさに人生の光でした。
しかし、その恋雪が道場の敵対者によって毒殺されたことは、狛治の心を完全に破壊します。
彼は「守る」と誓った相手を守れなかった自分を憎み、さらにはこの世界そのものを呪うようになります。
この「喪失体験」は、猗窩座になってからも消えることはありませんでした。
彼の深層心理に「恋雪と同じような女性はもう絶対に傷つけてはならない」という強烈なタブーとして残ったのです。
深層心理に刻まれた「罪悪感」
鬼になった猗窩座は人間時代の記憶をほとんど忘れていますが、「女性を殺さない」という行動原理は無意識に守られています。
これは、恋雪を失ったことに対する深い罪悪感が形を変えて彼の中に残っているためです。
彼は自覚していないものの、「自分がもう誰も守れなかった」「弱かったからすべてを失った」という過去の後悔が、行動に制限をかけています。
その罪悪感が女性を対象とした暴力行為に強い抑制をかけており、意識的な倫理ではなく、本能的・反射的な制御となって現れているのです。
鬼である猗窩座は人を喰らい、戦いを楽しみますが、「女性」という存在にだけは一線を引いているのは、この深層にある贖罪の意識のなせる業です。
人間としての“最後の良心”
猗窩座が鬼になったあとも、完全に人間性を失ってはいないことを示す象徴的な側面が、「女性を殺さない」という信条です。
鬼たちは多くの場合、人間時代の記憶を無惨の血とともに抹消されるか、自ら忘れようとします。
しかし猗窩座の場合、彼の中には**「狛治」という人間の名残**が、確かに生き残っていました。
それは、父を救おうとした優しさ、恋雪を想う誠実な愛、そして命を大切にしようとした心です。
猗窩座が鬼として多くの命を奪う中で、唯一守り続けたこの「女性を殺さない」という選択は、まさに彼の「最後の良心」ともいえるのです。
この良心は、最終決戦で人間時代の記憶がすべて蘇ったとき、彼の自己否定と贖罪の決断に直結する伏線となります。
無惨の命令や鬼の本能ではない、“自主的な禁忌”
重要なのは、「女性を殺さない」ことは鬼舞辻無惨からの命令でもなければ、鬼の生理的な特性でもないという点です。
猗窩座は他の鬼たちと異なり、自らの意志と無意識の制御によってこのルールを守っています。
つまり、猗窩座は自身の戦闘欲や殺意、鬼としての本能を制御してまで、女性には手を出していないのです。
これは鬼の中でも極めて異例なケースであり、それだけ彼の中に「絶対に超えてはならない線」があったことを意味します。
その理由が、失った恋雪と重なる存在を自らの手で再び傷つけたくない、という心理であることは明らかです。
なぜ女性を殺さない猗窩座を無惨は黙認したのか?
猗窩座は上弦の参という非常に高い地位にあり、鬼舞辻無惨からの信頼も厚い存在です。
無惨は鬼たちに対して容赦なく冷酷で、反抗的な者はすぐに粛清しますが、猗窩座の「女を殺さない」という奇妙な行動を咎めたことは一度もありません。
これは、無惨にとって猗窩座の戦闘力が極めて有能であれば、どんな価値観でも構わないという考えがあるからです。
無惨は「結果さえ出せばよい」という主義のため、猗窩座の私的な“禁忌”を容認していたと考えられます。
つまり、猗窩座は無惨に認められるほどの強さを持っていたからこそ、「女性を殺さない」という個人的な信念を鬼でありながら貫くことができた、稀有な存在だったのです。