『鬼滅の刃』に登場する上弦の参・猗窩座(あかざ)。
圧倒的な強さと狂気に満ちた戦闘スタイルから「恐ろしい鬼」として印象に残っている人も多いでしょう。
しかし、その裏には、あまりにも過酷で切ない過去が隠されていました。
愛する人を守れなかった悔しさ、大切な人を失い続けた苦しみ、そして救いのない絶望の果てにたどり着いた鬼としての生涯──。
この記事では、猗窩座の本当の姿、人間だった頃の「狛治(はくじ)」としての人生を丁寧に振り返ります。
彼の過去を知ったとき、きっと「もう憎めない」と思うはず。
涙なしでは読めない、猗窩座の悲しすぎる物語を一緒にたどっていきましょう。
猗窩座の過去が泣ける!悲しすぎる生涯まとめ
猗窩座は鬼になる前、本名を「狛治(はくじ)」といいました。
彼は鬼舞辻無惨に血を与えられて鬼となり、「猗窩座」の名を与えられましたが、その過去はあまりにも悲しく、切ないものでした。
彼の人間としての人生は、過酷な環境と数々の喪失によって彩られており、鬼としての性格や行動にも深く影響を与えています。
幼少期:病弱な父との極貧生活
狛治は貧しい家庭に生まれ、母親は幼い頃に亡くし、父親と二人で暮らしていました。
父親は重い病を患っており、働くことができませんでした。
狛治は父を助けたい一心で、まだ幼い体で町に出て薬代を稼ごうとしましたが、正当な方法では到底まかなえない状況にあり、次第に盗みを働くようになります。
盗みを繰り返す狛治は、町人たちから「鬼子(おにご)」と蔑まれ、何度も捕らえられては罪人として打たれました。
しかし、彼はただ父の命を救いたかっただけでした。そんなある日、父親は自ら命を絶ちます。
遺書には、「真っ当に生きろ」「自分のために罪を重ねて生きるな」という言葉が書かれていました。
この出来事は、狛治の心に深い傷を残し、人生の指針を失わせるきっかけとなります。
慈悟郎との出会いと恋雪との愛
父を失い、彷徨っていた狛治は、ある日ある武術道場の主・慶蔵(けいぞう)に助けられます。
慶蔵は「素流」という流派を継ぐ武術家で、病弱な娘・恋雪(こゆき)と二人で暮らしていました。
狛治は、道場に身を寄せながら、恋雪の看病をしつつ、武術の修行に励み、やがて彼女との信頼を深めていきます。
恋雪は、病弱で人との交流を持つことが少なかったものの、狛治には心を開き、二人は次第に愛し合うようになります。
狛治は彼女のためにもまっとうに生きようと決心し、盗みもせず、修行と看病に全力を尽くしました。
そしてある日、恋雪から「一緒に生きてほしい」と告白され、二人は将来の結婚を約束します。
狛治にとって初めて手にした、真っ当な幸福でした。
再び訪れる悲劇:奪われたすべて
狛治が幸せを手に入れようとしていた矢先、悲劇が再び彼を襲います。
慶蔵の道場の成功を妬んだ隣接する剣術道場の者たちが、卑劣にも慶蔵と恋雪に毒を盛って殺害してしまいます。
狛治は外出しており、帰ってきた時には二人はすでに亡くなっていました。
あまりの喪失に心を壊した狛治は、怒りに任せてその剣術道場に殴り込み、門下生や師範、関係者などを素手で47人殺すという凄惨な復讐を遂げます。
もはや人間の常識を逸した力を振るった彼は、そこへ偶然現れた鬼舞辻無惨に目をつけられ、「お前には鬼の素質がある」と血を与えられるのです。
愛する人を守れなかった後悔と、怒り、絶望の中で、狛治は抵抗もなく鬼となり、人としての生を終えました。
鬼「猗窩座」へ:強さへの執着
鬼となった狛治は、無惨から「猗窩座」という名を授かります。
彼は自分がなぜ鬼になったのか、誰を失ったのかという記憶を無意識に封印し、人間だったころの名前も忘れてしまいます。
その代わり、猗窩座は「強さ」だけに執着するようになります。
弱さを極端に嫌い、「弱者は死んで当然」「強い者こそが価値ある存在」という信念に支配されるようになります。
これは、かつて恋雪を守れなかった弱い自分に対する嫌悪、そして力を持っていながら何も救えなかった後悔が原因とも考えられます。
彼は無限列車編や無限城での戦いで、柱や炭治郎たちと激しい戦闘を繰り広げ、その戦闘力の高さと執念深さを見せつけます。
猗窩座の過去を知った私の感想と考察
猗窩座の過去を知るまでは、彼はただ残虐で戦闘狂な鬼の一人という印象がありました。
しかし、人間だった頃の「狛治」の物語を知ると、その認識が大きく変わります。
愛する者を守れなかった苦しみ、正しく生きようとした矢先に訪れる理不尽な不幸、そして全てを失った果ての鬼化。彼は、悪に堕ちたというより「居場所を失い、逃げ場もなくなった末に鬼となった」ように感じられました。
猗窩座が最期に思い出すのは、父の遺言や恋雪との穏やかな日々。自分を許せず、自ら崩壊を選ぶ姿は、彼が最後まで人間の心を持っていた証拠でもあります。
鬼であるにもかかわらず、彼の死には「哀しさ」や「静かな救い」が漂っており、多くの読者に深い感動と余韻を残したことでしょう。
そんな猗窩座が鬼となってから「強さ」に異常なまでに執着したのは、「守れなかった自分」を否定し続けていたからではないでしょうか。
父も、恋雪も、慶蔵も、全員彼の無力さの前に命を落としています。だからこそ、彼は「強ければ守れた」「弱い者は消えるべきだ」と考えるようになってしまった。
これは、一種の自己防衛でもあり、トラウマから逃れるための論理でもあります。人間としての「弱さ」「無力さ」に直面することを拒み、「強さ」だけに価値を置くことで自分の存在意義を保っていたのです。
炭治郎との戦いでその呪縛が解けた時、彼はようやく「狛治」として、自分自身と向き合うことができたのでしょうね。