『鬼滅の刃』の中でも屈指の人気を誇る鬼、「上弦の参」猗窩座(あかざ)。
炭治郎や義勇との壮絶な死闘の末、彼は最期に意外にも穏やかな“笑顔”を見せながら崩れ落ちていきます。
この場面は読者・視聴者に強烈な印象を残し、「なぜ猗窩座はあの瞬間に笑ったのか?」と多くのファンの心に問いを投げかけました。
冷酷非道な鬼として描かれてきた猗窩座ですが、その裏には誰よりも人間らしい悲しみと後悔、そして救われたいという切なる願いが隠されていました。
本記事では、彼の過去や内面、死の直前の描写をもとに、猗窩座が最期に笑った理由を多角的に考察します。
彼の歩んできた道に何があり、あの笑顔に何が込められていたのか——その真意に迫っていきましょう。
猗窩座はなぜ笑ったのか?最後に笑顔だった理由を考察
結論、以下の理由からでしょう。
- 人間だった頃の「狛治」の記憶を取り戻したから
- 「自分を許せた」から
- 「強さを求める理由」に決着がついたから
- “人として死ねた”ことへの安堵
それぞれ詳しく解説していきます。
①人間だった頃の「狛治」の記憶を取り戻したから
猗窩座が鬼として活動していた間、彼は「過去の記憶」をほとんど失っていました。
これは、鬼舞辻無惨の呪いによって、鬼としての本能(戦い・喰らうこと)を優先するために封じられていたものです。
しかし、炭治郎と義勇との死闘の中で、「本当のお前は誰だ?」という問いかけや、過去の記憶を刺激するような状況が重なり、ついに彼は「狛治」としての記憶を取り戻します。
- 父を救えず、罪を重ねた少年時代
- 慶蔵や恋雪に出会い、救われた日々
- そして、愛する人たちを守れなかった悔しさ
これらの思い出が一気に彼の中に流れ込み、鬼としての「猗窩座」という仮面が崩れていきました。
記憶を取り戻したこと=本来の人格を取り戻したことであり、このとき彼は「鬼としての苦しみ」から解放されつつあったのです。
②「自分を許せた」から
猗窩座(狛治)は、自分が引き起こした過去の悲劇――特に、恋雪と慶蔵の死――に対して、深い罪悪感を抱いていました。
その後、自暴自棄になって無惨に取り込まれたことも含め、「自分は生きる資格のない人間だ」と考えていたと推察されます。
彼の最期の幻覚に現れた恋雪は、狛治に「もう、自分を責めるのはやめて」と問いかけます。
この言葉は、彼が最も欲しかった「許し」そのものでした。
誰かに認められ、許されること――それができなかった彼の人生に、ついに癒しの瞬間が訪れたのです。
「赦し」は人を解放する力を持ちます。
その結果、猗窩座は穏やかな笑みを浮かべて、静かに消えていきました。
③「強さを求める理由」に決着がついたから
猗窩座は、鬼の中でも特に「強さ」に固執していました。
弱者を嫌い、戦闘中も強者と戦うことを喜びとする――これは単なる好戦的な性格ではなく、「守れなかった自分」を否定するための行為でした。
彼は、恋雪や慶蔵を救えなかった過去の自分に復讐するかのように、「強くなければいけない」と自分を追い詰めていったのです。
しかし、炭治郎たちとの戦いを通じて、「本当の強さ」とは肉体的なものではなく、「人を想う心」や「誰かのために戦う意志」であると気づきます。
その瞬間、彼の中で「強さ」に対する価値観が根底から変わったのです。
つまり、 自分の求めた強さが間違っていなかったことに安堵し、初めて笑うことができたとも解釈できます。
④“人として死ねた”ことへの安堵
猗窩座は、鬼である限り何度でも再生し、死ぬことができません。
しかし、彼は最期、自らの再生能力を拒絶し、「破壊殺・滅式」を自分自身に放ち、完全に肉体を崩壊させて自決します。
これは、鬼としての呪縛から脱し、「人間としての死」を選ぶという行為でした。
- 鬼としての自我(猗窩座)ではなく、
- 人間としての自分(狛治)に戻り、
- 罪を背負ったまま終わりを迎える
この「自分の意志で死を選ぶこと」は、鬼たちには非常に難しい行為です。
だからこそ、彼は最期に「人間としての誇り」を取り戻し、そのことに安らぎを感じて笑顔を浮かべたのです。
猗窩座の最後の笑顔に対する感想
ここからは、猗窩座が笑ったシーンに対する、私の感想をまとめます。
読者の反応も合わせてまとめているので、気になる方はどうぞご覧ください。
涙が止まらなかった
猗窩座の最期のシーンは、アクションの決着というだけでなく、心の救済が描かれたことで、多くの読者に深い感動を与えました。
猗窩座はそれまで何百年も「強さ」だけを求め続けて生きてきましたが、その背後には大切な人を守れなかった悔しさと喪失感がありました。
炭治郎との戦いを経て記憶を取り戻し、自らの過ちと向き合い、恋雪との思い出に包まれながら崩れ落ちたラスト。
鬼でありながら「人間としての最期を迎えた」という点が、読者の涙を誘いました。
- 「猗窩座が過去を思い出して、自分を許して笑った瞬間、もう涙腺が崩壊した」
- 「鬼なのに、ここまで救いを描いてくれるなんて…すごい構成力」
悪役なのに嫌いになれない
猗窩座は確かに多くの人を殺してきた鬼ですが、読者は彼の悲劇的な過去を知ることで、ただの「敵」ではなく、「失われた人間性を求める存在」として受け入れていきます。
父を救えず、恩人と恋人を毒殺され、絶望の末に鬼となったという経緯が、読者の心を大きく動かしました。
炭治郎や義勇との戦いの中で、自身の本質や過去に向き合う姿は、まさに「人間に戻るための戦い」。
彼の複雑な感情や生き様に触れることで、「倒されて終わり」ではないキャラクターとしての深みを感じさせます。
- 「最初は怖かったけど、過去を知ってからは憎めなくなった」
- 「鬼なのに人間より人間らしくて、胸が締めつけられた」
恋雪との再会が泣ける
猗窩座の心に最も深く残っていたのは、慶蔵と恋雪との穏やかな日々でした。
鬼として過ごした長い年月の中で完全に忘れ去っていたその記憶が、最期に蘇り、恋雪の幻が彼のもとに現れます。
恋雪は猗窩座を責めるのではなく、静かに彼を受け入れ、迎えに来てくれました。
その描写が、読者にとってもまさに“救い”と感じられた瞬間です。
憎しみや怒りで生きてきた猗窩座が、「許され、愛されていた」と実感したあのシーンは、彼の心をほどき、笑顔へとつながったのでしょう。
- 「恋雪が出てきた瞬間に泣いた…もう、ズルいよ」
- 「ただのバトル漫画じゃない、こういう人間ドラマがあるから好き」
鬼滅の“救いの描写”の中でも一番好き
『鬼滅の刃』には、鬼たちにもそれぞれ悲しい過去や人間時代のドラマが描かれていますが、猗窩座の最期はその中でも特に「救い」が丁寧に描かれていると評価されています。
無限城編や終盤ではスピード感のある展開が続く中で、猗窩座のシーンは時間をかけて心理描写と記憶の回復が描かれており、観る者・読む者の感情に寄り添う構成となっていました。
鬼でありながら「自分の意思で再生を止めて死を選んだ」ことも、強く印象を残します。
これは“人間として死ぬ”ことを選んだ数少ない鬼であり、その尊厳が読者にも感動を与えました。
- 「鬼滅の中でも猗窩座の最期が一番泣けた」
- 「炭治郎に斬られたんじゃなくて、自分で終わらせたってところが、すごく良かった」
まとめ:猗窩座の笑顔が意味するもの
猗窩座が見せた最後の笑顔は、「悪役の死」ではなく、「一人の哀しい男の救い」でした。
- 忘れていた愛を思い出し、
- 自分を許し、
- 強さの意味を悟り、
- 最後は人として生き直した
これは、「償い」と「救済」によって生まれた笑顔です。
鬼滅の刃が描く深い人間ドラマの中でも、猗窩座の最期は特に切なく、美しい名場面のひとつです。